際だった失政がないにもかかわらず、「劇的に」支持率が低下したのは、有権者たちが今政治過程に求めているのは、「劇的なもの」それ自体だからである、というのが私の提出する仮説である。
彼らは「劇的に支持率が低下した」という事実そのもののうちに、「政治過程に期待するもの」をすでに見出して、それなりの「満足」を得ている、というのが私の仮説である。
「劇的な破綻」、「劇的な制度崩壊」、「劇的な失敗」・・・そういうものが「緩慢な破綻」や「進行の遅い制度崩壊」や「弥縫策が奏功しない失敗」よりも選好されている。
人間的諸活動のtheatricalization (劇化)と呼んでもいい。
社会制度が破綻することによって自分自身が「いずれ」受けるはずの苦しみよりも、社会制度が劇的に破綻するのを「今」鑑賞できる愉悦の方が優先されている。
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「社会制度が劇的に回復するプロセスに参加することの愉悦」という選択肢が我々に残されているのかどうかが大問題ですね。 (via inouedai) |
「それって、どういう意味?」たぶん、聞き返されるはずです。
そして、彼らはたぶん、そう簡単には「納得」してくれない。
あなたも、ネットでやっているようには、うまく「説明」できない。
少なくとも僕は、あまりネットをやらない自分の妻の「地に足のついた生活力」とか「情報判断力」に圧倒されることばかりです。
| — | 本当に「情弱」なのは、誰? - 琥珀色の戯言 (via kotoripiyopiyo) |
最近の映画は昔と違って単純な勧善懲悪ではないものばかりなので、
「正義っていったい何だろう?」と訳分からなくなることが多いが、
実は簡単。
こっそり教えてやるから、誰にも言うなよ。
みんなうすうす気づいていても誰も口にはしないが、
実は正義とは、感情的な「好き嫌い」のことだ。
「好きか嫌いか」
つまり個人の好みの問題。
好みは十人十色。
人の数だけ好みがある。
ゆえに正義も人の数だけ正義がある。
犬が好きな人は犬を大切にするのが正義だし、
イルカが好きな人はイルカを保護するのが正義。
シーシェパードは日本の漁民よりイルカが好き。
それだけのこと。
好みが食い違うと正義の主張も食い違う。
主張が衝突したときは争って勝った方が正義になる。
「正義が勝つ」のではなく「勝った方が正義」。
決着のつけ方は、多数決だったり、論争戦だったり、法廷だったり、
しまいには武力による戦争だったり、色々ある。
勝敗が決まったら、勝者を正義、敗者を悪と呼ぶ。
「1人殺せば殺人者100人殺せば英雄」という言葉もやはり勝つか負けるかが問題。
大量に人を殺しさえすれば、いつでも英雄になるわけではない。
最終的に負けてしまえば極悪人とされる。
ヒトラーだ。
大量虐殺をした結果、戦いに勝ったら正義になる。
アメリカだ。
というわけで、
何が正義かわからなくなった時は思い出すのじゃ。
個人にとっての正義=好み
社会にとっての正義=勝者
この単純明快で嫌らしい真実をさわやかに認めてしまえば
長い眠りから目覚めたように実にすっきりとすべてが説明できる。
でも人には言うなよ。
こっそりとだ。こっそりと覚えとけ。
世間は真実が嫌いだからな。
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